掲示板やメールで寄せられた師匠への声(99年4月22日分)


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■・・・掲示板への投稿
◆・・・メールでのご意見

◆馬場三幸 4/22
枝雀さんが亡くなられて大変ショックでした。
諸行無常を思い知らされます。

枝雀さんの落語を初めて聞いたのは「代書屋」だったと思います。
「儲かった日も代書屋の同じ顔」代書屋さんというお商売が昔ございましたんや
そうで・・・
今まで聞いた落語とは違うジャンルのものという感覚でした。
そんな枝雀さんに魅了されて、テレビで落語が流れる度にカセットテープに録音
したり、
購入したりして、毎日のように聞いていました。
それでも、飽きたらず落語を憶えてやってみたりしていました。
(人前でやったのは2.3回かなぁ・・・)
結構受けてたと自己満足に浸っていました。
今にして思えば、私は落語ではなく「枝雀落語」をやっていたように思います。
「ひゅーといって、こつっ、ごめん。そんなんあきまへんで」
とかいった擬音を頻繁に使う落語家はあまりお目にかかったことがないからで
す。

近くの文化会館に「桂枝雀独演会」がある度に見に行きました。
出囃子に「昼飯(ひるまま)」に乗って高座に上がる枝雀さんの姿を昨日の
事のように思い出します。今となってはいい思い出です

枝雀さんが躁鬱病であることは昔から知っていました。
天才・異才といわれるのは枝雀さんの人生が病気と共に生きる人生
だったからなのかもしれませんね。
私の身近にも躁鬱病の人がいます、ですから少しは病気のことは理解している
つもりです。治っても周期的に発病する可能性のあることも・・・
だからこそ余計に身近な存在に感じていました。

枝雀さんが亡くなられたことは大変残念ですが、今後は南光さん、雀雀さん、九
雀さん
たちが師匠の意志を受け継いでくれることと思います。
「枝雀落語」は後生に語り継がれると思います。

ご冥福をお祈り申しあげます。
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■まっちゃん(193) 投稿日:99年4月22日<木>19時33分
つい最近会社の先輩より師匠のレコードをテープにダビングしてくれと頼まれ、録音
しながら聞いていっぺんにファンになってしまいました。復活されたらぜひ高座に伺
い爆笑したいと思っていまいたので、非常に残念な結果に悲しみをこらえ切れませ
ん。追悼番組はビデオに必ずとりますが、はたして”どうらんの幸助”ノーカットで
全部やってくれるのでしょうかと先輩ともいっていたところです。これからもずうと
師匠の落語を聞き続けていくことが、一番の供養になると思います。

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■愛志亭 舞夢(192) 投稿日:99年4月22日<木>19時10分●同じ時代に生きれた事に感謝
枝雀さんへ、
僕に落語の楽しさや、生きていく上でのヒントなどを、
教えてくれて有り難う御座いました。
これからは、枝雀さんと同じ時代に生きたことに、
感謝し、自慢として生きていきます。
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■トカスケノラ(189) 投稿日:99年4月22日<木>12時25分 ●後世に語り継ぎます
好きで好きでたまらなかった師匠の訃報にふれて、本当に悲しい限りです。
30年以上前の小米さん時代に大喜利でボケまくりスミで顔を真っ黒けにされたころから、最も輝いていた枝雀時代までの師匠の顔が(もちろんブラウン管で)浮かんでは消える毎日です。
これからは師匠のことを胸に思い抱いて、「こんな偉大な噺家さんがいたんだ」と後世に語り継いでいきたいと思います。
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■久七(188) 投稿日:99年4月22日<木>11時27分●俺はがんばるぞ
「すびばせんね」みなさん「すびばせんね」
って言ってるの?聞こえてきそうや
ほんまに悲しいわ。
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■eriko@hawaii daigaku投稿日:99年4月22日<木>05時26分
Okuyami
Mo Nihon ni kaettsutemo Shijaku-san ni aenai towa...
Kabuki-za no dokuen-kai, Sogetsu Kaikan de kiita Eigo rakugo, Beicho shisho tono
Shitei-kai nado nado (mo junen ijo mae ni naru no desune...)omoi dashi masu.
Kanashikute Nihongo henkan ga dekinaku narimashita.
Kokoroyori gomeifuku o oinori itashimasu. Hawaii yoriEriko
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■ひでみ投稿日:99年4月22日<木>03時10分 ●枝雀師匠本当にありがとうございました。
枝雀師匠や奥様そして九雀さんを始めとする一門の皆様に、今まで励まして頂いていたか
分かりません。初めて枝雀師匠の落語を生で拝見したのが16年前になります。
超満員の会場で500人ほどお客様が見に来られていたと思います。まくらを話されていた師匠が、突然こちらに向きを変えて"青菜"という落語を始められたのです。まるで、私と向き合う様なかっこうで。お客様からはざわめきがおきましたが、枝雀師匠はそのまま落語を続けられました。中入りになって、今度は"八五郎坊主"をなさったのですが、やっぱりこちらを向いて最後まで楽しくて、笑いっぱなしであっという間に時間は過ぎていきました。もしかしたら、私の為にこちらを向いて話して下さったのかな、いや、そんなはずはないと思いながら、会場の外で一言お礼が言いたいと枝雀師匠を待っていました。
すーっと私の車いすが動きました。振り向くと、枝雀師匠のあのお顔がそこにはありました。 私「楽しくて、面白い落語を聞かせて頂きまして、ありがとうございました。
熊本にまたいらして下さい。」枝雀師匠「楽しんで頂けましたか。あなたがとても嬉しそうに笑って下さっていたので、気がついたらあなたの方を向いていました。」と笑顔で
話して下さいました。それからは、お手紙を出したり、当時放送されていた「笑いころげてたっぷり枝雀」の収録を大阪まで見に行ったり、行ける範囲での公演にはかならず行き、お話させて頂き、なによりの励みであり、支えになりました。枝雀師匠がいて下さったから、頑張る事が出来ました。今は、東京に住んでいるので、なかなかテレビで見たり
する事も難しかったのですが、くり返しCDやビデオを見ては元気をもらっていました。
今から二年程前に、横浜で独演会をなさった時に御会いしたのが最後になりました。
信じられません。信じたくもありません。米朝師匠がおっしゃられた様に、事故に遇われたのだと思います。枝雀師匠 本当にありがとうございました。また御会いするのを楽しみにしています。奥様初め、南光さん、雀三郎さん、雀松さん、雀々さん、九雀さん、文我さん、む雀さん、紅雀さん、そして二人の息子さん、ほんとうにありがとうございました。枝雀師匠、本当にお疲れ様でした。
このホームページをずーっと続けていって下さい。お願いします。
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■ちあき投稿日:99年4月22日<木>02時00分 ●香港から
私は今、香港に住んでいます。ケーブルTVのNEWSで、枝雀さんの訃報を知りました。
「え〜!!嘘やろ〜!!」って少しの間、固まってしまいました。
正直言って、最初から落語が好きだった訳ではありませんでした。
枝雀さんの、あの独特な雰囲気、聞いている人を引き寄せる素晴らしい話芸、それから、
口を尖らせて、ひょっとこ?蛸?の様な、愉快な顔をされる落語を聞いてから、
落語=枝雀さんのファンになりました。
オリンピックの、スピードスケートで、金メダルをとった、清水選手が、心を落ち着かせる
為か、枝雀さんのテープを聞いていた・・・という話を耳にした事があります。
聞いている人の心を和らげ、大笑いもさせてくれる偉大な落語家は、後にも先にも、
枝雀さんしかいないと、私は思っています。
日本に1年後に帰ります。
TVでもう、枝雀さんの落語が聞けないと思うと、とてもとても寂しいです。
寄席を見に行かれた方、羨ましいです。ナマで聞きたかったのに、残念です。
でも、私の心の中には、一番の落語家=枝雀さんで、ずっと輝いています。
 心から枝雀さんのご冥福を、お祈りいたします。ゆっくり休んでくださいね。

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■定吉とん 投稿日:99年4月22日<木>00時51分 ●枝雀の名は永遠に残る
残ります。どれだけたくさんの芸人さんに影響を
与えていることでしょう!!!私ははっきり知らないのでごめんなさい。
落語ファンならよく知っておられると思いますが、
○代目春団治が面白かったでえ〜という話。林家三平さんも面白かった。
ほかにもおられるでしょう。これから成長する子供達はきっと枝雀さんを
知らないことになるかもしれない。
でも、み〜んなが言いますよ。
「あんな面白い人おらんかったなあ」って。先日、FMを聞いていたらいまどきの歌手の人かな、
DJのトークで「緊張と緩和」と言うんですよ。
私は一人でつっこみましたよ。
「あんた、その言葉、誰が作ったか知ってんのか!」って。
それほど、緊張と緩和もメジャーになりましたね。
きっと、ずっと、ず〜っと枝雀は生き続けます。私は案外落ち着いてきたのは、私がたくさんの舞台を
見たからでしょうね。また、いつか告白することが
あります・・・?!
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■ひと投稿日:99年4月22日<木>00時46分
for 
前に、大切な人を亡くした時に、友達からもらった詩です。
誰のかは解らないんですけど。「1000の風」〜大きないのちに つつまれて〜
私の お墓の前で涙を流さないで ください
そこに 私はいません
永久に 眠ってなんかいませんホラ、今はもう世界中に吹く1000の風の中です
雪にきらめく ダイアモ ドのように世界中を照らす光のうちにいます
実りの作物を照らす あの陽の光となり
秋には やさしく 降る雨となって
すべてのものを 包んでいますあなたが朝、窓を開ければ
風となってあなたの髪をさらさらとなびかせます
夜あなたが眠るとき
星になってあなたをいつも見守っていますだからどうかそのお墓の前で泣かないで下さい
私は そこにいません
私は 死んではいないのです
新しく 生まれたのですから
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◆高間 清尚4 /22
昔、NHKの放送で、師匠の恩師の(名前は忘れましたが、東本願寺派のお寺の住職)から「そうあらねばならん、ならんことはないのだ。」という言葉を聞いて、それに支えられています、と師匠が言われていたのをよく憶えていますが、なのになんで、とても残念です。